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小説や作詞について書きますし、余計なこともたくさん、そして自分の決心について日々思うことなんかも書くかもしれません

「教える」、「学ぶ」とは


こんばんは。

いろいろとあり思うことがあったので、今日は「教える」ということについて自分なりの考え方を述べたいと思います。

私事ですが、基本的に僕は人に物事を教えたことはない、と自分では思っています。
例外はあります。例えばアルバイトの新人教育担当に就いたとか、そういうことくらいですかね。
本当にあくまで持論ですが、「教えてあげる」って言葉が僕は非常に嫌いです。
理由としては、自分でそんなこと言ってるなんて自意識過剰だと思うからです。
ですから僕は絶対にそんなことは言いません。

自分の人生を例にとって一つお話したいと思います。
僕は選手時代も、本当に俗に言うアドバイス的なことは後輩達に一切言いませんでした。
人の話を聞きすぎて才能が潰れるなんて、よく聞く話ですよね。僕もそう思います。
例えていうなら、体育の授業で説明長くて実技の時間が短くなる先生パターンです。僕はああいう先生嫌いです。
まずは自分でやってみる。上手く出来なかったら自分なりに工夫してみる。それで上手くいくにしろ、上手くいかないにしろ人のものを自分の目で見てみる。よかったら盗んで自分なりにアレンジする。さらに話聞きたければ声をかけてみる。そして試してみる。が持論です。

選手時代の僕は比較的シュートにおける分野で評価していただくことがありましたが、僕もたくさんの上手な選手のシュートフォームを見て盗んで試してみて、自分に合ったものを習得しました。
シュートフォームが安定するまで、いろいろな指導者の方が実に理論的な説明を、僕が聞いてもいないのに自らしてくれました。僕も当時は今よりは素直だったので素直に聞いて試してみましたが、どれもしっくりきませんでした。
そんなことよりも自分で「良いな」って思った選手のフォーム見て試して、話聞きにいったことの方がよっぽどためになりましたし、聞いてもいない理論的?な指導者達の話なんて今ではさっぱり覚えていません。
選手時代の話で思い出したんですけど、会社の同期にチアガールやっていた人がいるんですけど、僕のこと知ってたんですよ。その人は僕の出身学校のライバル校でしたので公式戦の時はチアガールとして出向いていたので僕のこと知っていたみたいです。
ちょっと嬉しかったですね。僕はもうバスケの世界には戻ろうとは全く考えていないですが、僕の現役時代のことを覚えてくれていた人がいてくれたので。
写真でもビデオでもなくて、見てくれていた人や子ども達の記憶に残り続ける選手を当時は目指していたので嬉しかったです。

読売巨人軍の主力、坂本勇人選手が言っていた言葉が僕は印象に残っています。
「打てないなら聞きにこい」です。
あれだけ打っている人でも決して自分から「教える」なんてことはしないんですよね。
僕も非常に同感です。

僕は現役時代、後輩に何も教えなかった。と言いましたが、何か聞いてきた時は自分なりの意見を自分なりの感覚で答えましたし、僕から見た後輩がどういう風に見えて、どう成長するともっといい選手になるか、みたいな個人的な意見は言ってました。あくまで個人的な意見なので参考にするかどうかは本人次第でしたし、したのかどうかも実際のところはわかりません。

そして、僕のコーチ時代ですが、ここでも基本的に教えることはしませんでした。
コーチの仕事は上から選手を引っ張っていくことではなくて、下から選手を困っている時に押しあげてあげることだと思っています。
なので、あくまで練習にしろ試合にしろ、やるのは選手達自身です。僕はそのサポートと困ってる時の話し相手役と、試合に負けた時の責任者になることくらいしかやることありませんでした。
僕はバスケットボールの世界では強豪校と言われる学校を出ていますので、比較的それだけでも選手達は僕のことを敬ってくれていたので、非常にコーチとしてはやりやすかったということも覚えています。
ここでのやりやすいというのはあくまで自分なりの感覚で、説明は省きます。
実際コーチをしてみて思ったのは、日本の部活動に対する不思議さと疑問の多さでした。
日本の顧問はとにかく怒鳴り、怒ります。
僕は当時本当にびっくりしましたね。やっているのは選手であり、その選手もやりきった上でのチャレンジをミスと捉え怒る指導に僕は正直呆れました。
本気で試合や練習に、僕のためではなく自分達のために挑み、考え、チャレンジしている以上、コーチの僕が口出しすることなんて何もありませんでした。
ただ、伸び悩んでいる選手や、壁にぶち当たっている選手に、気さくに声をかけ、その課題を自分の言葉で説明してもらった後に、僕が思う僕なりのヒントを「教える」まではいかずに、「与える」くらいの感覚で話すことが大切だと思っていました。
そしていざ実際に大会で勝ち、優勝出来るようになると、「大人」の世界で褒め称えられるのは選手達ではなく、僕でした。
僕はこのことが不思議で仕方ありませんでした。
実際戦っているのは選手自身であり、僕がいる場所はあくまでベンチです。
試合の中でちょっとの意見や、不可解な判定の時に抗議することくらいしか仕事はなくて、他には負けた時の責任を最後に負うくらいしか仕事ありません。
ですが世の中では、プロクラスでない限り学校内なんかでは、負けたら選手達の責任、勝ったらコーチのお手柄みたいな風潮があります。
絶対におかしいです。僕は不思議でたまりません。


先日ですが、自分の高校生のいとこが僕に会いにきました。
いとこがわざわざ僕に会いにきてなんて言ったと思いますか?
実は「勉強のアドバイスが欲しい」って僕に言ったんです。
僕は思わず笑ってしまいました。
いとこは日本一頭の良い高校に通っています。僕はそのいとこより偏差値10劣る高校を出て、学力的に比べてもいとこにはまるで敵わないことくらい自覚しています。
だから、「聞く人まちがえてる」とは言いましたが、勉強した先にあるもの、自分の将来がどうなっていくのか、くらいの話は個人的に思う程度のことは話してきました。
勉強内容に対するアドバイスなんて、とてもじゃありませんが言えませんでした。
というよりも、僕の方が興味があって逆に聞きました。
いとこがどんな勉強方法をしているのか。

そういやこれも先日なんですが、親しい友人に言われたことがあります。
「〇〇の好きだった人って〇〇にいろいろなこと教えてくれたんでしょ? その人ってそんなにすごい人なの?」と言われました。
ここでの〇〇は僕の本名で、好きだった人は忘れられない人のことですね。
「おれは「すごい」というよりもすごく素敵な人だったって今でも思ってるよ。かなり上から目線になるけど、多分彼女は自分の一番良いところに自分自身気付いていないように個人的には思うかな。まあ、そんなところも含めておれは好きだったけど。それに彼女は自分の一番の可愛い部分にも気付いていないような気もする。本当にあくまで個人的な意見だけど、本人が思ってる自分の可愛い部分と、おれが思ってる「世界で一番可愛い」は絶対に違うものだとおれは思う。別におれの意見が正しい確証もないけど、でもおれは、彼女の意識がいき届いていない「綺麗な心」と「世界で一番可愛い」ところが好きだった。彼女がおれに教えてくれたことはそういうことだよ。教えようと思って教えたことじゃなくて、彼女の素敵さがおれにたくさんのことを教えてくれたんだ」
確か、こんな感じのこと言ったと思います。
「いや、意味わからない」
と、友人に言われました笑
「すっぴんで畑作業しているジャージ姿の女性が、華やかなランウェイを歩くバッチリメイクのモデルよりもおれには可愛くて素敵に感じるってこと」
そんなことを僕は言った気がします。

彼女が僕の持論に止めを刺しました。
彼女自身、僕に教えてくれた事は、おそらく自分では大して意識していたことではないように僕には思えました。
しかし、僕はそこから学んだことがあります。
学ぶ、ってそういうことだと思います。人の話聞けばいいみたいなことじゃないって僕は思います。

最後に一言…… ジャージ姿のすっぴんで畑作業している彼女が僕は本当に好きで、あの時初めて「世界で一番可愛いな」と感じました。

おやすみなさい