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小説や作詞について書きますし、余計なこともたくさん、そして自分の決心について日々思うことなんかも書くかもしれません

自分が生きてる時間と死んだ後の時間

こんばんは。 

僕は選手時代にアナフィラキシーショックアレルギーなどで救急車で緊急搬送され、死にかけたことが何度かあります。 
その度にお医者さんにこっぴどく言われました、「やり過ぎはよくない」と。 でも、僕は自分のベストを常に出してきたつもりです(大切な時だけは)。 

僕は自分の人生を通して、友人や知り合いの命を何人か失いました。 
僕は大都会東京のド真ん中の一見華やかな業界にもいた時期もありますが、その時期は特に酷い形で知り合いを失ってしまいました。  
人が自分より先に死んでいくことは、やっぱり辛いです。 分かっていても、涙は止まらないです。


 前置きはこのくらいにしておいてですね。 
僕は高校生の頃に、「自分のやりたいこと」とか、「自分のキャリア」という考え方は一度捨てたつもりです。 
僕は自分が死んだ時に悔しさだけが残らないように生きていきたいと考えました。 恥は一瞬ですが、恥を恐れた結果残った悔しさは死ぬまで一生残り続けます。 ですから僕は、例えバカみたいなことでも、他の誰かが理解してくれないことでも、死ぬまで後悔するくらいならやってしまおうと考えました。
 あわよくば、自分が死んだ後も何かしらの形で自分の生きた証を残せていけたらと考えました。 それは別に物じゃなくても、人の記憶でもいいとは思っています。 
ですが一番の生きた証は「お墓」だと思っています。
それは自分自身が生きていた証であると同時に、自分が人を愛した証であるとも思うからです。 
自分の心から好きになれる人に出会い、その人を自分に出来る限りたくさん笑顔にしてあげたい。試練や壁が待っていたとしても共に乗り越え、その先も一緒にいたい。そして寿命を迎え、お墓に入っていく。 

僕は近頃思うんです。「人生楽しんだもん勝ち」とか、「人生は一度きり」なんてよく言われていますが、人間は生きている時間よりも死んでからの時間のが長いのではないかと。 
だとしたら人生において、人を好きになるということに関しては多少の過ちを犯してもいいのではないかと、結局最後には、自分の心から愛せる人の隣にいられるなら。 
なんだか気持ち悪い表現かもしれませんが、僕は大好きな人と一緒のお墓に入ることってすごく大切なことじゃないのかな、って思うんです。 
たくさん涙を流して、たくさん嫌な思いして、たくさん傷ついて、それでも人生は有限ですよね。どれだけいろんな辛い思いをしても、一番最後、死んだ後でもずっと隣で一緒にいられるなら、それは本当にとても素敵なことじゃないかと思います。
 子供が生まれたら、たまにはお線香を持って会いに来てくれますよね。そういうのもいいんじゃないのかな、って思います。 
結婚自体は、そこまで大切なことじゃなくて、例え離婚をしてしまっても、最後に一緒のお墓に入ってくれる人を自分が心から愛せているのであれば、それは本当に人生を駆け抜けてきた意味があるのじゃないかな、と思います。 

明日は時間を見つけて、僕は遺書でも書いてみようかなって思います。
 明日、明後日に何が起こるのかわからない時代ですしね。 
僕は今の僕の気持ちに素直になって遺書を書いてみたいと思います。 
誰のためでもなく、誰の顔色を見ることもなく、自分の気持ちに素直になって。 

おやすみなさい