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小説や作詞について書きますし、余計なこともたくさん、そして自分の決心について日々思うことなんかも書くかもしれません

「Air」.129

320()

 

予定の時間よりもわたしは20分も早くお店に入った。だけど、由紀はすでに席について紅茶を飲んでいたの。

「それで由紀。昨日は空斗くんとなんの話をしたの?」

その言葉が自然とわたしの口から出ていた。由紀が事務所をやめてしまうことに対する話し合いよりも先に。

「私が声をかけると成田くんは礼儀正しく対応してくれたよ。それから少し話をしてから近くのお店に入ったの。彼は「ついさっき振られてきました」って私に明るく話してくれたよ。成田くんは希のことを何も悪く言ってなかった。彼との希に関する話はただそれだけだよ」

「そっか……」

わたしは空斗くんにもう嫌われていると思っていたから少しだけ安堵した。でも、それは由紀の前だからで、彼が心の中でどう思っているのかはわからないよね。

「でも、どうしてそれで由紀は事務所をやめようって思ったの?」

「それはね、言えないんだ……」

「どうして言えないの?」

「言ってしまったら私は、私のこれからの芸能人生に大きな障壁を自らの手で作ってしまう事になるの。それに成田くんにだって余計な迷惑をかけてしまうかもしれないから……」

「……それは吉田さんと社長が関係しているってことだよね?」

「そうだね。でも、それだけじゃない。希も関係しているんだよ」

「わたしも?」

「そうだよ。だから希には希自身で気付いてほしいの。自分の周りで起きていることを。…最近いろいろあったでしょ?偶然にするには不思議なくらいの大人の関与が」

「大人の関与」…その言葉がわたしは嫌いだったし、認めたくもなかった。

「なにもなかったよ。」

わたしは強がっていた。でも、もしかしたら以前空斗くんが話していた大人にわたしはなっていただけなのかもしれない。

「そんなわけないじゃん。 ……希じゃ、成田くんには敵わないよ」

由紀は険悪な声でそう言った。

「え?」

わたしも語尾を強めて言い返した。

「なにもわかっていないのは希の方だよ。過保護な両親に守られて、事務所に守られているしさ。希は自分の意志がないんだよ。一見自立したような大人ぶった事を口にするけど、いつだって大人に守られている。希は用意されたレールの上をただ歩いているだけ。そこに希自身はいないもん!」

 過保護という言葉にわたしは腹が立った。

「両親の事を、吉田さんの事を悪く言わないで!それにわたしは自分の意思でいつだって行動している!わたしは……」

 怒りで言葉は本来次々と出てくるはずだった。でも、次に話したいことを進めようとした時に、昨日空斗くんに言われた「操り人形」という言葉が脳裏に浮かんでわたしの言葉を遮った。

「希は成田くんになにをしてあげられたの?付き合うってことは、「してあげる」とかそういう事じゃないっていうのはわかっている。でもね、それでも私は希に聞きたい。希は成田くんになにをしてあげたの? 成田くんは希が声が出ない時も、目が見えない時も、希が急に体調を崩した時も、大切なものを落としてしまった時も、いつだって希を想っていてくれたじゃん。希は成田くんになにをしてあげられたの…… 彼、昨日38.0以上の熱があったんだよ。知ってた?」

「知らないよ。」

主導権は完全に由紀に握られてしまったみたい。それよりも……

「なんで知らないの?」

「だって空斗くんそんなこと話してくれなかったもん。」

そんなこと…… いま、そんなことって言ったよね?成田くんは希に熱があればすぐ気づくんだよね?以前、自慢げに私に話してくれたもんね。でも、希は成田くんに熱があること、なんで気がつかないの?なんで逆が成立しないの? おかしいよ…二人が共に過ごした時間は一緒なはずなのに…… 彼言ってたわ。別れ話だってことは会う前から雰囲気で感じていたって。でも、希が大切な話だって言ったから、彼は体調悪いのに無理して外に出てきたんだよ!希がそのことに気がつかないのは成田くんのことを理解しようと努めていたのは上辺だけで、本当に大切なことは見えていなかったから。希が自分を理解してもらおうとばかりしていて、彼に甘やかされていたからだよ!」

「……もしかしたら由紀の言う通りなのかもしれないね。でも、なんで空斗くんのことで由紀がそこまで怒るの?」

わたしと空斗くんとの間に入ってしまったものは諦めるしかなかった。でも、由紀との間にまで空斗くんとのようなもう戻れない境界線を引きたくはなかった。だから言っていることまでは認めてはいなかったけど、由紀の言い分には耳は傾けていたつもりだった。

「怒るよ…そりゃ怒るに決まってる! 希は何も知らないからそんなこと言えるんだよ!今だって大人が引いたレールの上を歩いているだけだから気がつかないんだよ。成田くんは希に振り回されただけじゃん……」

「そんな…あの頃は本気だったし、振り回したつもりなんかないよ!」

「いいや、間違ってる…希は間違ってるよ!あの頃は本気だったなんて都合のいい言葉でごまかさないでよ!それに結果として希は成田くんに迷惑をかけただけ。今大切なのは希の気持ちなんかじゃない。結果として振り回されただけになってしまった成田くんの気持ちだよ…もう成田くんと一緒に過ごせないとしても、希は成田くんに謝るべきだよ」

「それは無理だよ。だってわたし空斗くんにもう会っちゃいけないんだもん。」

会っちゃいけないってどういうこと?」

わたしは言葉にしてから言わない方がよかったことに気がついた。

「お母さんと約束したから……」

「それは約束じゃない。契約って言うんだよ。22歳にもなって親の言いなりだなんて。やっぱり希は成田くんには敵わない。彼のがよっぽど世の中のことを、大切なことを理解しているよ」

「そんなことわからないじゃん!」

「わかるよ!だって私は、日本の平均的な家庭で育っているから。お父さんはサラリーマン、お母さんはスーパーのパート、私は高校まで公立の共学の学校を出ている。弟も同じ。…成田くんは希や私なんかよりももっと大変な環境で育ってきている。それなのに…環境面で恵まれているはずの希や私は彼に敵わない。それは結果を見れば一目瞭然。私たち彼になにも敵わないわ。彼、希の前では弱音は吐かなかったと思うけど、きっとずっと辛かったと思う。…ずっと寂しかったと思うの。涙を流しながらも不断の努力を重ねてきた彼に私たちが敵うわけない。彼よりも希が言う「世界」をわかっているはずがないの。 ……バカね、希は」

最後に由紀はそう言うと席を離れてお店を出て行った。わたし一人になってやっと気がついた。店員さんも周りのお客さんもみんなわたしの事を見ている。あれだけ大きな声を出していたらそうなっちゃうよね…… それに、昨日と同じだね。この状況は……

わたしは早く席を立ってお店を出ようとした。周りの視線を気にしてなるべく平静を装っていたけれども、やっぱり涙を我慢することはできなかった……

「あのお客様……」

お店の出口を目前に店員さんに声をかけられた。お店の人にまで気を遣わせてしまって申し訳なかった。

「ごめんなさい。周りの方々にもご迷惑をおかけしてしまいましたよね……」

「そうではなくて、お会計の方をお願いしたいのですが……」

 そう言うと店員さんはわたしに伝票を見せた。わたしはこれ以上ないくらいのを感じたんだ。でもその後、昨日との違いにも気が付いた。