passing

小説や作詞について書きますし、余計なこともたくさん、そして自分の決心について日々思うことなんかも書くかもしれません

しゃくねつなっすぃー!!



いや〜、暑いですね、こんばんは笑

さっそくなんですけど、Airを自分で少し読み返していて思い出したんですけど、そういえばこの辺りを書いていた当時、舞台を2年後にしよいか1年後にしようか非常に悩んだんですよね……
いろいろ考えた結果、結局保険をかけて2年後にしたことを思い出しました笑
ただそれだけです笑

自分で書いておいてなんなのですが、僕のここで書いたことってくどいですよね笑
会話の中だったらもう少しストレートに話をすると思うんですけど、ここでは自分の自由なように深く掘り下げた状態で、日常だったら話さないようなことについていろいろ私見を述べているので……まあ、くどくなっちゃうんですよね笑

Air書いていて面倒くさくて抜かしていた箇所が数箇所あったことも今日思い出したんですよ。
第3章は僕も少し思うことがあって書いていたので、ところどころ抜かしてしまいました。
ですので、そこだけ「愛した人は」シリーズの方の文面を代用しようかな、とも考えています。

あんまり言いすぎるといろいろとネタバレであったりまずかったりするので、サラッと程度に触れておきますが……
人は誰しも心に壁があるとは思うんですよ。それを「トラウマ」と呼んだり、「壁」と呼んだり、「傷」と呼んだり、「扉」と呼んだり……まあ、呼び方なんて正直どうでもいいですし、抽象化させた呼び名のイメージの一致の合致性についてもどうでもいいです。
僕が問題としているのはですね、
その心の壁を自分1人で癒すことが出来ず、誰か大切な人が自分の一番やらかいその場所を癒してあげられるのかもしれませんね。
ですが、全てを癒してあげることは出来るのでしょうか?
僕は以前ふと思いました。
癒すということは当たり前のように隣にいないと、一番近いところにいないと出来ないことのように思い込んでいましたが、もしかしたら実際はそうではないのかもしれない、と。
それこそ僕は言葉に縛られ、イメージの合致性に惑わされていたんだと思います。
もっとリアリティに言うなら、「会うこと>会わないこと」のように思われがちですが、
会えないことというのは、会えること以上にまた違った意味で、別の方向から尊いものかもしれないと、僕はある時思いました。
さらにリアリティに話続けていって掘り下げてもいいんですけど、くどいのとネタバレになるのでそろそろやめておきます笑
(最終的に言うなら、ディズニープリンセスが最後は王子様とハッピーエンドみたいな話になるという感じのようなことをくどく続けるつもりでした笑)


おやすみなさい